みなさんは新型コロナウィルスの影響下で如何お過ごしでしょうか。
先日、我々外大.netは、PCR検査を受けたとある外大生にコンタクトを取ることができたので、インタビューさせていただきました。
今回はその会話の模様をお伝えいたします。
彼は一体なぜPCR検査を受けることになったのでしょうか。
帰国後、実際にPCR検査を受けた外大生の話
スペインから帰国したJorge(仮名)さん
ひなちゃん
この度は、非常にセンシティブな話題のインタビューに応えてくださりありがとうございます。本日はどうぞよろしくお願いします。
Jorge(ホルヘ)
こちらこそどうぞよろしくお願いします。今回のインタビューは、私が経験した事実を淡々と語ることによって、みなさんにより緊張感をもっていただければと思ってお引き受けしました。さきにお伝えしたいのは、この記事を通して関係のない学生に迷惑をかける行為はお控えいただきたいということですね。
ひなちゃん
難しいところだったと思います。お引き受け、本当にありがとうございます。私としても、この記事を通して、緊急事態宣言が解除されたあとの “ゆるみ” が深刻にならないように...と願うところでございます。
空港では検査がなかった…?
ひなちゃん
Jorge(仮名)さんは留学されていたと聞いたんですが、どこにいたんですか?
Jorge(ホルヘ)
スペインにいました。スペイン語で大学の授業に参加していた感じです。
ひなちゃん
今は日本にいらっしゃるそうですけど、帰国はコロナ関連ですか?
Jorge(ホルヘ)
はい、そうです。帰国は…3月の15日くらいですかね。そのあたりで公共交通機関が止まるとかいう情報が来てたので、
Jorge(ホルヘ)
そうですね。日本の大学や政府のほうから帰国を推奨されたことが大きいです。ほかには、留学先の大学の授業がすでにコロナの影響で止まってて、外出も自由に出来る状態じゃなかったんで、留学しに来てた私としては早めに帰国しておこうかなと思いました。もっと深刻になったら推奨されている帰国すらかなわないと思ったので。
Jorge(ホルヘ)
空港では、検疫とか体温とか行うことなくそのまま出れちゃう感じでした。もしかしたら、サーモグラフィで監視していたかもしれませんけど。そのあとは、なるべく人混みをさけながら、実家に戻りました。
身体に異常が…。
Jorge(ホルヘ)
母屋に高齢の祖母がいたんで、そこで母親と住んでもらって、私のことを迎えに来てくれてた父と一緒に離れで隔離生活を送っていました。その生活の中でも、接触があまり起こらないように、玄関にものを置いておいてもらったり、寝る場所を1階と2階でわけるみたいにして過ごしてました。
Jorge(ホルヘ)
いやぁ…、それが。帰国がだいたい15、16日で、その時は全く問題なかったんですけど、2週間の隔離生活がそろそろ終わりそうなころから、37度くらいの熱が出てきちゃいました。
Jorge(ホルヘ)
うーん、とりあえず1日でも早く熱が下がってほしいと思いました。ちょっとやばいかなって…。平熱は36.5なんですけど、朝は36.2とかで、お昼頃にちょっと上がるんです。そうだな、37度くらいですかね。
Jorge(ホルヘ)
熱が続くので、「ぼーっと」する感じはありました。「全く動けない!」みたいなことはなかったです。他の症状はまったくなくて。あっ、今、自分の手元の保健所への連絡をみてみると、「4月初から鼻水がちょっとでる、淡が絡む」ってのが書かれてますね。
ひなちゃん
えっ、それじゃあ保健所にも連絡したんですね?いつごろ?
Jorge(ホルヘ)
そろそろ自身の自粛期間が終わりそうな27日頃に熱の症状がでてきてしまったんです。それから、上がったり下がったりでしたが37.5は一回も超えなかったから判断に困ってました。気になったので、29日に保健所の方に電話を入れました。
ひなちゃん
そうですか...。では、保健所はどのような対応を?
Jorge(ホルヘ)
29日はというと、「とりあえず様子見」と言われました。それほど体温はあがってなかったし、他に特に大きな症状もなかったんで。
Jorge(ホルヘ)
いや、まだ熱が上がったり下がったりしつづけていて、気になったので、とりあえず近くの掛かりつけの医者に連絡しました。
Jorge(ホルヘ)
いや、そもそも電話した時点で「帰国者は受け付けられないから保健所のほうに連絡してくれ」と言われてしまったので、行けず…。結局4月3日にまた保健所に連絡することになりました。
PCR検査を受けることに…
Jorge(ホルヘ)
自分の症状をもう一度詳述して色々話し合った結果、翌日4日にPCR検査を行うことになりました。
Jorge(ホルヘ)
そうです。インフルエンザのときにみたいに、長い棒を鼻から入れられてグリグリされました。めっちゃ痛かったな…。
ひなちゃん
それじゃあ検査受けるときはどんな感じだったんですか
Jorge(ホルヘ)
まずは、親の運転で指定された病院まで移動して、駐車場でしばらく待機してました。感染症担当の人が車のナンバーを手掛かりに迎えにきてくれました。その人の指示にしたがって、裏口に車を止めなおすことに。その後、車内にいる私に対してその人が問診表を渡してきたので、それを書いて待っていました。問診表を回収してもらった後、緑色の服を来た医者と看護師さんが来て、PCR検査用のフロアに連れていかれました。裏口のエレベーターから直接いける場所だったので一般人との接触は0でした。
ひなちゃん
そうですか。かなり徹底されていたんですね。PCR検査だけ受けたんですか?
Jorge(ホルヘ)
それ以外にももちろん他の病気の可能性もあったので、同じような検査方法で4種くらいの検査(スクリーニング検査?)と、喉を綿棒でいじくられるような検査も受けました。痛かったけど、我慢してました。そしたら先生に「痛くないですか?すごいですねぇ!」と褒められました。まぁあとは、血液検査もありました。
ひなちゃん
褒めてくれたんですね(笑) ほかに肺の検査とかはなかったんですか?
Jorge(ホルヘ)
他には、肺のレントゲンを撮りました。撮影する機械にはビニルがかかっていました。
Jorge(ホルヘ)
PCR検査っていうのは、サンプルを二つ作って一つは受けた病院で、もう一つは保健所で検査をするんです。病院では1日ででるはずだったんですけど、「病院で出た結果が陰性であれば保健所の結果と共に伝えます」、とのことでした。
PCR検査の結果は…?
Jorge(ホルヘ)
4月7日に、保健所の結果と共に、病院のほうから「検査結果の数値を見る限り “陰性” である」という結果をいただきました。
Jorge(ホルヘ)
数値的には確かに「陰性」でした。でも、肺のレントゲン写真には「肺炎像がある」とのことで、担当の医者からは、「普通の風邪で肺炎像がでるのはちょっと珍しいね」と、怖いことは言われました。
ひなちゃん
えっ、そうだったんですか。そのあとは、どうしていたんですか?
Jorge(ホルヘ)
総合的に判断したお医者さんに「家で安静にしていてください」と言われたのでずっと家にいました。これで帰国から数えて1ヶ月程度の隔離生活です。毎朝担当医に体温と症状について報告していました。それで、4月14日くらいになると熱も全くなくなり、医者の方からも「外出てもいいですよ」という許可をもらったので、外にでれるようになりました!
Jorge(ホルヘ)
そうですね。今覚えば、一ヶ月続く風邪ってすごいですね…。
ハンセン病のような悲しい歴史を繰り返さないで。
ひなちゃん
自分がそのような検査や症状を経てみんなに伝えたいことはありますか?
Jorge(ホルヘ)
まずは、これまで話してきた通り、医療関係者の方が高ストレスの環境で、高パフォーマンスで用意周到に我々に対応してくれていることに頭があがりません。本当にありがとうございます。
また、そうした医療関係者の負担を増やさないためにも、より一層感染予防に気を配りたいし、気を配っていただきたいなと思います。そのために今回のインタビューをお引き受けしたので…。ウィルスは目に見えるものじゃないので、気を付けている人は、より一層注意を向けて欲しいなと思います。
ひなちゃん
そうですね…。まさにStay home が一番の予防策と言えそうです…。外に出なければマスクも要らないし、買い物は大事ですけどね…。
Jorge(ホルヘ)
ゴールデンウィーク過ぎて気持ちが緩んでいる人もいるかもしれませんが、不要な外出は控え、Stay Homeを心がけて欲しいなと思います…。それから、最後に。
最近では新型コロナに罹患し完治した人、もしくはPCR検査を受けた人に対する差別が起きているそうです。大変残念なことに思います。少し前には、ハンセン病患者の方々が、その患部の様子と高いと思われていた感染力によって、遠くの島や隔離施設に押し込められてしまった歴史があります。ちなみに今は最も感染力の弱い感染病とまで言われています。ハンセン病のような悲しい歴史を繰り返さないように、正しい知識を身につけていただきたいなと強く思います。
ひなちゃん
本当にその通りだと思います。
難しい局面で取材をお引き受けいただきありがとうございました。そして、今回経験された貴重なお話、大変勉強になりました。本当にありがとうございました。
Jorge(ホルヘ)
この記事によって、すこしでも明るい未来が近づけばと願っています。こちらこそありがとうございました。
(終わり)
※本記事に関する問合せについては、プライバシー保護の観点から返信しかねますので、何卒ご理解いただきますようよろしくお願いいたします。