皆さんが「文学」と聞くと、何を思い浮かべますか?
夏目漱石、宮沢賢治、ドストエフスキー、カミュ、エドガー・ラン・ポー……
様々な文豪がイメージされるかもしれません。
これらの文学は、文字を用いた文学です。
しかし、文字を使わない文化圏でも、文学は愛されています。
今回はその中でもアイヌ民族の文学をご紹介します。
文学を通じて知るアイヌ文化
「アイヌ文学」という言葉は耳慣れない方が多いと思います。
文学にはそれぞれの地域の文化が表れていて、アイヌ文学も例外ではありません。
最大の特徴は、その表現方法です。
前述したように、アイヌは文字を使わない文化圏です。
文字としての文学とはまた違った深みがあり、口承だからこそ伝えられる物語が数多く残されています。
今回は、そんな魅力溢れるアイヌ文学についてご紹介します。
アイヌ文学には大きく分けて3種類あります。
ユカㇻ、カムイユカㇻ、ウエペケㇾです。
それぞれの文学についてひとつずつご説明します。
ユカㇻってなんだろう?
叙事詩や英雄叙事詩のことをユカㇻといい、 主人公の少年、または少女が戦うドラマチックな物語です。
恋愛などの要素もあって、みなさんが聞いて楽しめるものだと思います。
長さはその作品によりますが、語るのに数時間かかるものから、三日三晩以上かかるものも。
文字を持たない文化ですから、口伝が基本です。そのぶん、迫力のある語りで具体的なイメージを想起させることができるのです。
カムイユカㇻってなんだろう?
ユカㇻが人間の叙事詩なのに対して、カムイユカㇻは神謡、神の叙事詩です。
こちらもユカㇻと同じように、ドラマチックで面白い物語がたくさんあります。
これらのカムイユカㇻを13篇まとめて発行されたのが『アイヌ神謡集』著者:知里幸恵です。
アイヌにルーツを持ち、日本語とアイヌ語が堪能であった彼女は死の直前までアイヌユカㇻを日本語に訳す作業を続け、19歳で心臓病により逝去しました。
カムイユカㇻはアイヌにとって、それほどまでに重要視されている文学なのです。
実は、このカムイユカㇻをYouTubeでアニメ付きで聞くことができます。
日本におけるアイヌ文化保護活動の中心団体である公益財団法人アイヌ民族文化財団が、
魅力的な動画を多数公開していますので、そのうちの二つをご紹介いたします。
この砂赤い赤い
クモの女神
ウエペケㇾってなんだろう?
ウエペケㇾは散文逸話、昔話と訳されます。
上でご紹介した二つ目の動画には節がついていたと思いますが、それとは違いウエペケㇾには節がついていません。
こちらは冒険物語とは違い、普通に生きていて経験するようなお話です。
普通の人間の主人公が、カムイ(神)や他の人々の手助けを得ながら苦境を乗り越えていくというのが定番の流れです。
「むかしむかし、あるところに…」の代わりに、「私には父と母がいて、暮らしていたところ…」のように主人公が自分の家族構成から語り始めることが多いのです。
人間の散文逸話だけではなく、神々や和人(日本人)が主体となる散文逸話も残されています。
また、パナンペ・ペナンペ譚といい、周辺諸民族の伝承に似た散文逸話も語られていました。
コラム アイヌ文学の人称
アイヌ文学の語りの人称に関しては諸説あります。
アイヌ研究者、金田一京助はカムイユカㇻの語りは<一人称語り>だとしました。
日本語にすると、「私は~」という叙述の方法を用いていたという説です。
この考え方は長らく多くの研究者に継承されてきましたが、近年新たな説も生まれました。中川裕はこのように述べます。
そして結論からいうと、アイヌ文学の主人公の人称というのは、日本語に訳すからみんな「私」という表現になってしまうのであり、アイヌ語の原文に即していえば事態はもっとずっと複雑なのである。(中川1997)
以下、ユカㇻ・ウエペケㇾの人称について、カムイユカㇻの人称について分けてそれぞれの言説を見ていきましょう。
・ユカㇻ・ウエペケㇾの人称
アイヌ語の「私は」の人称は、主にku(次に続く語がa,u,e,oの場合はkで示されます。
それに対して、ユカㇻやウエペケㇾではaなどが使われます。
これもを一人称を意味するのですが、日常会話で使うkuとは別の人称なのです。
ただ、物語の中で登場人物が自分のことを指す言葉であるから、これを日本語で「私」と訳しているだけの話なのである。(中川1997)
このaの人称は、「引用の一人称」(沙流方言)の用法と近似している(中川1997)
と中川裕は述べており、これは「私は~した、とAさんが述べていた」という場合の「私」は、ku人称ではなくa人称が使われることを意味します。
・カムイユカㇻの人称
カムイユカㇻの場合はユカㇻやウエペケㇾと異なり、ci,asなどの人称が使われます。
これについて知里真志保は、“神が人間とことなる言葉で自分を区別する糸に発したものであるらしい”と述べています。
また、このci人称は、「(聞き手を含まない)われわれ」を意味することから、中川裕は以下のように述べています。
神謡とは本来神が神に向かって語るという形式をとった話(中略)ということであれば、現実の聞き手である人間に向かって語りかけられた話ではないということを示すために、聞き手を除外する「除外的一人称複数」を用いて語るのだ、という解釈の可能性も生まれてくる。(中川1993)
つまり、神謡というのはカムイの体験談を人間がなり代わって語るのではなく、主人公であるカムイが語り手である人間に乗り移り、一体化して語るという形式である ために、「われわれ」という人称が使われるのだという解釈である。(中川1997)
これらの言説では、ただ日常生活で用いる人称と異なる人称を使うことで神と人間を区別するだけではなく、一人称複数形を用いていることへの考察が述べられています。
まとめ
以上のことから、長らく継承されてきた「アイヌ文学は<一人称の語り>である」という説に対しては、
ユカㇻやウエペケㇾでは「引用の一人称」が使われているとされる説、
カムイユカㇻでは神と人間を区別する人称が用いられているという説、カムイが語り手と一体となって語る説など、近年はより深い考察がなされているのです。
ただ「私」と訳すだけでは伝わらないような違いですが、アイヌ語でアイヌ文学を考える際には、人称の違いに注目して読むことでさらに奥深い世界を知ることができます。
アイヌ文学まとめ
ユカㇻ…英雄叙事詩。超人的な力を持つ人間の英雄が戦うドラマ性のある物語。
カムイユカㇻ…神謡。神の物語であり、ユカㇻと同じようにドラマチックな物語。
ウエペケㇾ…散文逸話。昔話であり、節をもたない。多くは人間の主人公の生活を中心に描かれる。
以上が主なアイヌ文学の3分類です。
文学に触れてみると、アイヌの人々がどのような考えを持っていたか、どのように生活をしていたかが垣間見ることができます。
ぜひ、みなさんもご紹介した動画等でアイヌの世界を味わってみてください!
参考文献
公益財団法人アイヌ民族文化財団 “この砂赤い赤い アイヌ語音声日本語字幕” YouTube Retrieved from<https://www.youtube.com/watch?v=hPZicP4VDFk>(参照日2020年5月23日)
公益財団法人アイヌ民族文化財団 “くもの女神 -ヤオシケプ カムイ- アイヌ語音声日本語字幕” YouTube Retrieved from<https://www.youtube.com/watch?v=IXBy9TZOgQk>(参照日2020年5月23日)
本田優子 村木美幸 安田千夏(2014)「ゆうことみゆきのふくふくトーク ソンコdeソンコ Vol.28 7月号 ユカㇻ(英雄叙事詩)」公益財団法人アイヌ民族文化財団公式HP
Retrieved from
<http://www.ainu-museum.or.jp/sonco_sonco/sonco-pdf/sonco201407.pdf>(参照日2020年5月23日)
「知里幸恵とは」知里幸恵銀のしずく記念館HP
Retrieved from
<https://www.ginnoshizuku.com/%E7%9F%A5%E9%87%8C%E5%B9%B8%E6%81%B5%E3%81%A8%E3%81%AF/>(参照日2020年5月23日)
中川裕(2013)『ニューエクスプレスアイヌ語』白水社pp.34-59.
中川裕(1993)「アイヌ散文説話における外来的要素と人称(<特集>アジアという視座)」『日本文学』42(1),pp.32-41.
中川裕(1997)「アイヌの物語世界」平凡社pp.216-129,223-224.
丸山隆司(2006)「神話について―カムイ・ユカラをめぐって―」『アジア民族文化研究』5,pp.91-95